【利休七則】~花は野にあるように~

生け花と茶花の決定的な違い、それは活けようとしないこと。

生け花はある種、華やかさであったり全体の構図であったりと花器と花で全体をプレゼンテーションするのに対して、茶花は「野に咲いているように」という自然体が基本です。造作的なことを良しとしません。

でも考えてみると矛盾しているんですよね。花は切り取られた時点ですでに自然から切り離されています。茶室という空間に飾られることで、野原に咲く状態とは全く異なる、つまり人工的なところに花は置かれるのです。
すでに人の手が入ってしまっている時点で自然ではなくなっている、でも自然に野に咲いているように見せなければならない。

利休と秀吉の花で有名な話で「朝顔」があります。
秀吉が利休の庭の朝顔が素晴らしいと聞きつけて是非見たいと所望します。当日、秀吉が利休宅を訪れると、庭には朝顔は一輪もなく、全て取られていました。ですが、茶室に入った瞬間、眼前に見事な朝顔が一輪現れます。

そう、たったこの一輪を活かすために利休は庭の朝顔を全て取ってしまったのです。

花は野にあるように・・・

自然体であることを求められますが、それはただ自然体であればいいのではありません。作られた中で、それがいかに自然であるかのように見せるかが重要なのです。

仕事でも、商品を売ることに対してその過程がいかにもであったり、バレバレなセールスだと客は興ざめしてしまい買ってくれません。セールスが作為的なのは当然です。しかしそれを作為的でありながら作為的ではない自然な振る舞いが出来る、これこそが真のビジネスマンに必要なものなのです。

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